2016年10月25日
野麦街道(鵬雲崎~橋場番所)
2 コース 鵬雲崎~稲核風穴~稲核~橋場番所
3 所要時間 2時間 約7㎞
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国道158号の東京電力三殿ダム上流に梓川の渓谷が美しい「鵬雲崎」があります。この地に野麦街道の面影漂う馬頭観音がありました。険阻な断崖上の山越えであり苦労が多かったと思います。稲核集落には風穴が何カ所もあり、かつては天然の冷蔵庫として県内外の蚕種冷蔵用などに利用されていました。稲核から先の街道は梓川右岸にありましたが、すでに廃道になっています。安曇支所がある徳本峠入口近くの橋場集落は、松本藩が口止め番所を置いた場所で、梓川の天然の岩盤上に刎橋構造の「雑炊橋」を架けました。どんな洪水にも流されることはなかったとのことで、信濃の国の安曇郡と筑摩郡をつなぐ要衝地でした。現在は斜張橋の橋になっていますが、雑炊橋は恋伝説「お節」と「清兵衛」が雑炊を食べて質素倹約したことがきっかけで橋が架かり名前がつけられたとのことです。橋のたもとに「後の世の人の為ともなりにけり恋故かけし谷川の橋」と謳われた石碑がありました。
2016年10月25日
伊那街道(伊那部宿~宮田宿)
2 コース 伊那市駅~伊那部宿~沢渡駅~宮田宿
3 所要時間 5時間(見学、休憩含む) 約10㎞
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伊那部宿は飯田城下と塩尻宿の中間に位置し、伊那市駅から少し歩いたところにあります。江戸時代に2度の火災にあったため、火災を免れた豪農「井澤家」を除けば宿場の面影は少なかったです。規模は南北に330mに及んでおり、枡形や町屋の形態は留めていて様子は十分理解できました。発足20年が過ぎた「伊那部宿を考える会」の活躍は素晴らしく、旧井澤家住宅の復元活動、案内板や標柱の設置、史跡マップ作り、イベント行事などが活発に行われていて、地域の宝や文化を守ろうとする情熱に感動しました。当日は婦人部の皆さん手作りの、おはぎ、ひじきの煮物などのご接待をいただき、心温まる人情に触れる思いでした。伊那市小出石仏群は、伊那街道沿線で見かける冬の念仏講「寒念仏供養塔」が、伊那市下島の薬師堂や宮田村宮田宿には馬頭観音、庚申塔などの石仏がたくさん残っていました。中山道の脇往還だけあって中馬稼業で繁栄した様子や、庶民の生活文化を石仏を通じて味わうことができました。宮田宿は宿場の面影が薄かったです。(善光寺街道協議会主催 参加者35名)