2018年11月13日
秋葉街道てくてく旅信州編(飯田市南信濃小嵐~青崩峠下)
2 コース 飯田市南信濃小嵐~青崩峠~浜松市水窪町塩の道碑
3 所要時間 3時間30分(昼食、休憩含む) 約6㎞
4 主 催 遠山郷やらまい会
5 参加者 約100名
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両側に畑の石積みが残る秋葉街道
左右の 石の色が違います。右は中央構造線の青崩れを表現
飯田市南信濃と浜松市水窪町を結ぶ青崩峠(1,082m)の古道(秋葉街道・青崩峠古道)約6キロを歩く催しが地元の「遠山郷やらまい会」主催で実施されました。
南信濃和田宿から青崩峠下・塩の道碑までの古道は、約12㎞ありますが、中間点の市道南信濃156号線ヒヨー越分岐の小嵐地区(馬宿の旧島畑付近広場)から峠に向かって出発しました。街道の標識は、地元の皆さんの努力によって各所に設置されており、道も支障のない程度に整備されていました。古道ルートで特に印象に残ったのは、飯田市南信濃小嵐の判之木集落跡と茶屋跡、さらには両側に畑の石積みが残る街道の面影でした。また青崩峠山頂からの谷地形の遠州一望と馬頭観音石仏、青崩神社が印象に残りました。
青崩峠は信州と遠州の国境峠で峠は中央構造線の大断層沿いにあり、青色を呈する軟弱な岩盤にちなむ名称とされています。かつては秋葉神社詣での信仰の道として、日常生活の物資輸送の道として、戦国時代は武田信玄の遠州、三河への南攻の道として往来が盛んで歴史、文化、経済に大きな影響を与えた峠です。飯田線が開通すると道は衰退し往来する人も少なく寂れました。
2018年11月07日
大笹街道てくてく旅信州編(須坂市福島宿起点道標~仁礼宿)
2 コース 下り歩き
須坂市仁礼宿馬頭観音~八丁鎧塚古墳~須坂市福島宿起点
道標~長野電鉄村山駅
3 所要時間 約3時間 約10㎞
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「右 松代道 左 草津仁礼道」
大笹街道仁礼宿へは、長野電鉄バスを利用し須坂駅から湯っ蔵んど下の旧街道入口まで乗車し向かいました。仁礼宿の馬頭観音は県下有数の大きさで新しい注連縄が張られており、祭礼に対する地域の姿に接し日本の心を見る思いがしました。ここから鮎川右岸を北西に向かって下りましたが少し行くと「右 すさか 左 ぜん光寺」の道標がありました。往時の須坂と善光寺を示す道標で大笹街道はここを左折し川の右岸側を通っていました。しばらく行くと「道が途切れているよ」と地元の人に教えていただき戻って新道を歩き右岸側に戻りました。しばらく川沿いを歩くと県指定史跡の「八丁鎧塚古墳」があり東日本最大級・最古級と書かれておりましたが、過去に見たことのない積石塚でした。ここから福島宿へは、道祖神や道標などを確認し国道沿いを歩きました。福島宿は北国街道東脇往還(松代道)と大笹街道が交差する宿で、千曲川の船着き場もあったため、交通の要衝として栄え面影が色濃く残っていました。勝楽寺のそばに大笹街道の起点を示す道標があり「右 松代道 左 草津仁礼道」と刻まれていました。
大笹街道とは(仁礼会発行 大笹街道ガイドより)
江戸時代、善光寺平と上州を経て江戸を結ぶバイパスとして物資輸送の重要な脇街道だった。江戸末期には、善光寺詣でや草津温泉への湯治、大谷不動尊・米子不動尊詣での旅人の往来する街道だった。「大笹街道」の名称は、上州大笹(群馬県嬬恋村大笹)に至るところから呼ばれたもので、上州側からは「仁礼街道」あるいは、「信州街道」と呼ばれていた。