2016年09月27日
伊那街道(松島宿~伊那坂下の辻)
2 コース 伊那松島駅~松島宿~北殿大泉宿~
常円寺坂下の辻道標~伊那市駅
3 所要時間 約5時間(見学含む) 約12キロ
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(名匠 守屋貞治作)
街道は国道153号線を何回も横断するがほぼ沿線上にありました。松島宿は敵の進入を防ぐ鍵の手は残っておりましたが宿場の雰囲気はなかったです。印象に残ったのは、箕輪町法界寺の高遠の稀代の名匠守屋貞治作の傑作石仏、地蔵菩薩像でした。貞治は仏門に帰依し石仏を掘る時は、香を炊き念仏を唱えながら彫像に励んだとのことです。個性的で精神性を感じる石仏が貞治の特徴と聞きましたが、上諏訪の諏訪家の菩提寺「温泉寺」に多くの石仏が残っています。全国的に活躍した高遠の石工は、高遠藩が税収増加をねらって「旅稼ぎ石工」を奨励したことから、北は青森、南は山口の1都18県におよんだようです。伊那市の北殿大泉宿は北殿村にあった東側6軒に、大泉村から移転した6軒が西側に住居してできた合宿(あいのしゅく)でそれぞれに問屋がありました。伊那市駅の近くに常円寺坂下の辻道標がありました。善光寺街道、権兵衛街道(はびろ道)、高遠への分岐道標で、重要な分去れです。 善光寺街道協議会主催 参加者32名。
2016年09月19日
北国街道(小諸宿~田中宿)
1 期 日 平成28年9月17日(土)
2 コース 小諸宿~滋野~田中宿
3 所要時間 約3時間 約10km
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小諸宿から田中宿間は、中沢川、深沢川、大石沢川のV字河川が目につきます。江戸時代寛保2年(1,742)の戌の満水では、土石流によって両宿は壊滅的な被害を受けたましたが、復旧、復興にははかりしれない労力と費用と時間を要した思います。浅間山麓の傾斜が暴れ川となったことは容易に想像できましたが、各河川とも階段工によって砂防施設が施されていました。備えあれば憂いなし、災害の恐ろしさを痛感しました。
小諸城下町西はずれの分去れに、牛にひかれて善光寺詣りの言い伝えで知られる布引観音への道しるべ「ひだり布引山道」の道標が建っており郷愁を誘われました。東御市滋野駅そばの街道には、「雷電の碑」が建っていました。佐久間象山筆の碑(写真手前)は、破片を持ち帰ると立身出世する、勝負ごとに勝つ、との迷信が生まれ碑分が読めないほど破損し、明治中期に新しい碑が建てられたとのことです(写真後方)。
2016年09月14日
北国街道(小諸宿)
2 コース 小諸宿
3 所要時間 約2時間
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小諸城は、城下町より下に城がある珍しい穴城です。大手門(四の門)と三の門(懐古園城門)の中間に小諸駅と線路がありますが、その施設は城門間を横切っており大胆さに驚かされました。宿場の荒町には、第二次上田合戦で和睦の調停を成立させたことで知られる海応院が、徳川家康の母の「お大の方」を弔うために作られた光岳寺等、由緒ある寺が点在しておりました。さらに、宿場の南の与良町に、民間に払い下げられた旧小諸城の銭蔵がありました。倉庫は意外に小さかったですが、小諸城を知る建造物として市の文化材に指定されています。また、往時の面影が色濃く残る、切り妻造りの本陣問屋や脇本陣、養蚕で隆盛を極めた商家の重厚な蔵造など、宿場にふさわしい町並みが形成されていて見応えがありました。