2016年05月24日
東信州・中山道てくてく旅(和田宿~長久保宿)
2 コース 和田宿~若宮八幡宮~三千僧接待碑~長久保宿~松尾神社
3 所要時間 5時間 約8㎞
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濱田屋旅館
長久保宿は、中山道信濃26宿の中で塩尻宿に次ぐ旅籠数(最大43軒)を数え、北国街道へ向かう上田道と白樺湖を経由し茅野方面へ向かう大門道の分岐で、最大難所の和田峠、笠取峠を控え人馬の往来、物流の拠点として賑わっていました。現在は道路のルートは同じですが、田舎町であり横目に見ながら通過し賑わいを感じることはありません。宿場は本陣・問屋を中心に東西方面に「竪町」を形成し、南北方面に旅籠を中心とする「横町」を形成、交点に旧宿内で唯一旅館業を営む「濱田屋」が残っております。現在も大勢の旅人が利用しています。宿場は行政、地域が一体になって保存活動をしており十分楽しむことができます。
2016年05月11日
東信州・中山道てくてく旅(和田峠男女倉口~和田宿)
2 コース 和田峠男女倉口ー唐沢一里塚ー鍛治足一里塚ー和田宿
3 所要時間 約3時間 約6㎞
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男女倉口
中山道最大難所の和田峠(標高1600m)男女倉は、旧石器時代から和田峠周辺の黒曜石集積地として全国に名だたる流通の拠点でした。奇しくも当日は、日本地質学会から「県の石」として初認定され、記念日に訪れることができました。男女倉口を下って間もなく唐沢の一里塚となります、一対で現存する珍しい一里塚です。
和田宿は本陣も旅籠も江戸時代の出桁造りや格子戸のついた姿を留めており、懐かしい癒しのひと時を過ごすことができました。宿場は隣の下諏訪宿まで5里18町(約22キロ)と長丁場のため、逗留する諸大名の行列や旅人が多く信濃26宿のなかでは規模の大きい宿場町でした。皇女和宮の御下向の際に宿泊されています。
2016年05月11日
北国街道てくてく旅(上田城~上田宿~岩鼻)
2 コース 上田城ー上田宿ー岩鼻
3 所要時間 2時間30分 約6㎞
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東虎口櫓門 「真田石」
宿場の柳町 上田城の石垣
上田城はNHK大河ドラマ「真田丸」の舞台になり、県内外から大勢の観光客が来場していました。戦国の知将、真田昌幸によって築かれた平城で、400有余年の歴史をもちます。東虎口(出入口)櫓門は平成になって復元されましたが、現在は櫓3基と櫓門1基があります。かつて城の南は千曲川が流れる要害地で石垣や土塁が至る所に残っていました。櫓門の大石「真田石」は直径が3mあり、市街地北方にある太郎山産とのことです。場内の石垣の大部分はこの産地とのことで、築城には相当な労力と苦労があったと思います。もう一つ驚いたのは藩主居館表門が上田高校だったことです。教育に対する上田人の並々ならぬ思い入れと豪胆さを感じました。
上田城の外堀、矢出沢川が直角に曲がる地に、明治になって上田城を買い取ったこの地方指折りの富豪・丸山家が、城から運んで積み直した石垣が残っていました。見事な姿を留めており財力の凄さに驚きました。
2016年05月05日
北国街道てくてく旅(坂木宿~矢代宿)
2 コース 坂木宿ー横吹八丁ー上戸倉宿ー下戸倉宿ー矢代宿
3 所要時間 4時間 約12㎞
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横吹八丁 名主・坂田家
下の酒屋 荒砥城址
坂木宿は戦国時代、信濃の勇将・村上義清の山城「葛尾城」があった地区で、町名は明治以降に坂城町となりました。街道には大壁造りの本陣表門が残っており、隣地に江戸時代に名主を務めた坂田家が姿を留めていました。北国街道の最大難所の横吹八丁は、高崖の山と千曲川に挟まれた天然の要害地で、通らなければ前後の坂木宿、戸倉宿に行けない危険な道で旅人の苦労は計り知れなかったです。
戸倉宿は上、下に分村したため、2宿が合宿した宿場でした。上戸倉宿は本陣門や老松は残っていましたが、下戸倉宿は18号沿いのため本陣の面影はなく、築250年の風格漂う下の酒屋が往時を留めていました。現在は千曲川の左岸に戸倉上山田温泉があり賑わっています。上山田の「荒砥城址」は村上氏の一族である山田氏が築いた城で、連郭式山城が再現され千曲川、戸倉上山田温泉、坂城町などが見下ろせました。
2016年05月05日
北国街道てくてく旅(矢代宿~松代宿~松代城址)
2 コース 松代城址、真田邸、文武学校、象山記念館、長国寺
松代象山地下壕
3 所要時間 3時間 約8㎞
1 期日 平成28年4月29日(金)
2 コース 矢代宿ー妻女山(登山)-松代宿
3 所要時間 4時間 約12㎞
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旅籠「藤屋」 千曲川
松代城址、松代宿
松代城は武田信玄によって海津城として築かれ、待城、松城を経て真田時代に松代となりました。宿場は落ち着いた雰囲気があり、大河ドラマの影響もあって城下は活気に満ちておりました。特に印象に残ったのは、真田家の菩提寺、長国寺本堂屋根のいぶし銀の六文銭と、初代・真田信之公の霊廟屋でした。
矢代宿、妻女山(登山)
矢代宿は北国街道の迂回路・松代道(北国東脇往還)の分岐点として交通の要衝でした。宿名は矢代宿で、地域名は屋代です。加賀藩の定宿として伝馬宿として隆盛をみせていましたが、今は旅籠「藤屋」の看板と手すりに面影を見る程度で、宿場の面影はありませんでした
妻女山は川中島の合戦で有名な山で、山腹から善光寺平と千曲川の前景を見ることができました。