2017年08月28日
秋葉街道てくてく旅信州編(大鹿村、大河原~安康露頭~地蔵峠)
2 コース 下り歩き
地蔵峠ー安康露頭ー深ヶ沢ー大沢橋ー小河原小渋橋
3 所要時間 下り3時間30分 約13㎞
(クリックして大きくして見てください)
大鹿村の秋葉街道第3弾は、飯田市上村境の地蔵峠から大鹿村最大の平坦地大河原の中心部へ向かう下り歩きの旅でした。地蔵峠は信州百名山「鬼面山」の登山口になっておりこの日も4台の車が停まっていました。上流部安康地区(安康とはカジカのことらしい)には、本州を縦断する中央構造線の断層「安康露頭」が川に面して露頭していました。その下流の深ヶ沢地区は、明治の頃に入植した集落があったとのことでしたが面影はありませんでした。峠から大沢橋までの約10キロ区間は、36災害の影響で古道は失われ新道の車道歩きでした。秋葉街道沿いの引の田集落に入ると国指定重要文化財の松下家住宅があり何故か安心感が湧きました。小さな集落ですが、代々名主をつとめた家で切妻造りで200年が経過しています。谷間の中に歴史の生き証人が残っていたことが驚きでした。大鹿村中心部から地蔵峠を越えて遠山郷への道は、距離があり山越えのため旅人は相当苦労しただろうなと思います。
2017年08月15日
秋葉街道てくてく旅信州編(柄山災害記念碑~市場神社大鹿歌舞伎舞台)
2 コース 柄山災害記念碑ー女高ー儀内路ー小塩ー鹿塩、市場神社
3 所要時間 下り歩き 3時間 約10キロ
(クリックして大きくして見てください)
大鹿村の秋葉街道第2弾は、北川露頭の下流、柄山・災害記念碑から大鹿村の中心部へ向かう旅でした。村の上流部鹿塩川流域の北川地区は、伊那谷を襲った36災害の爪痕が癒えず山肌がいまだにむき出しになっているところがあります。村々の変化は激しく、女高集落は13年前の平成16年に12戸あった集落が廃屋状態に、その下の儀内路も過疎化が進んでいました。中間点の小塩地区に入るとようやく国道が2車線化し生活の匂いがしました。
「鹿塩」は、鹿が好んで舐めるという湧き水を飲むと塩分を含んでいたことが地名の語源になったとのこと。鹿塩の市場神社は、国選択無形民俗文化財大鹿歌舞伎が公演されているお宮です。昭和58年より毎年秋の公演が10月第3日曜日に行われています。来場者は1,500人を数え村の人口の1.5倍になる盛況ぶりとか。隔絶されたかに見える山間地ですが、秋葉街道を通じてさまざまな文化が入ってきたことが伺えました。
2017年08月13日
秋葉街道てくてく旅信州編(大鹿村・分杭峠~北川露頭下)
2 コース 分杭峠ー三ツ沢ー矢立木ー北川露頭ー柄山災害記念碑
3 所要時間 下り 1時間30分(往復4時間) 片道距離 約5キロ
(クリックして大きくして見てください)
分杭峠から大鹿村へは公共交通機関がないため、峠からは私有車を停めて15分くらい下り、遡って20分くらい上る方法を6回繰り返し北川露頭下の柄山の災害記念碑まで歩きました。距離は峠から5キロと短いのですが所要時間は見学を含め4時間もかかりました。鹿塩川の源流「三ツ沢」にはキクヤ茶屋跡があり、ここから先の秋葉古道は矢立木まで右岸側を通っていました。古びたテープや看板はところどころにありましたが、この先の道は左岸側を通っていました。左岸側は車道ができたため秋葉古道は廃道になり、街道歩きは国道152号をもっぱら歩きました。北川露頭の槙立には、石積みの整地跡、馬頭観音、北川三社神社、分教場頌徳碑などがあり営みを感じる跡がありました。この地は木地師が細々暮らす里でしたが、明治末から大正にかけては木材の伐り出しで大きな集落が出現したとのことです。大花沢橋のたもとには成田不動があり養蚕が盛んだった頃の面影が残っていました。大鹿村北川地区は三六災害で大被害があったことを災害記念碑で知りました。