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2019年09月02日
北国街道てくてく旅信州編(長野市・新町宿)
1 期 日 令和元年9月1日(日)
2 コース 善光寺~吉田神社~穂積、徳間、東条~田中信号機
田子~飯綱町牟礼平出追分
3所要時間 3時間30分 約9㎞
(くりっくして大きくして見てください)
全国の一宮・石詞が並ぶ吉田神社
新町宿の家並み
新町宿の追分道標
「右飯山、中野、渋湯、草津道 左北國往還」
飯山城の裏門を移した田子の旧家
牟礼平出の北国街道脇往還(長沼道・松代道)と
北国街道の追分道標
2 コース 善光寺~吉田神社~穂積、徳間、東条~田中信号機
田子~飯綱町牟礼平出追分
3所要時間 3時間30分 約9㎞
(くりっくして大きくして見てください)
「右飯山、中野、渋湯、草津道 左北國往還」
北国街道の追分道標
新町宿は現在の若槻地区に当たる稲積、徳間、東条の三村で一宿を成した宿場です。穂積村は上旬の10日間を、中の10日間を徳間村、下の10日間を東条村が伝馬役を担っていました。宿場は善光寺宿から4キロほどと近いため一般客の宿泊収入が限られており台所事情は苦しい宿場でした。
善光寺宿から通称相ノ木通りを東に進むとまもなく吉田神社になります。境内に全国68の一宮の石祠が並べられおり印象深かったです。浅川を渡ると間もなく新町宿となりますが、問屋は往時の面影がなく史跡看板で知る程度でした。しかし、町並みは昔日の風情が漂っていました。徳間橋を越えた北の三差路には、飯山街道と北国街道の分岐点を示す「右飯山 中野 渋湯 草津道。左北國往還」の道標がありました。田中の信号機を越えて田子に入ると旧酒造家の表門には、飯山城の裏門を移した門が建ち、横に明治天皇御小休所碑がありました。街道の家並みが終わるとリンゴ畑の急な登り坂が続き、やがて飯綱町牟礼平出に出ます。平出は北国街道東脇往還(長沼道・松代道)と北国街道が分岐する追分で、道標は民家の敷地内にありました。