2019年07月26日 07:59
北信濃鉄道豊野駅からほど近いところに多賀神社があります。神代宿(長野市豊野)はこの辺りから始まりますが、宿場沿いに「神代村道路原標 御番所跡」と刻まれた石柱があり宿場名の意味が理解できました。神代宿はかつて飯山街道と交差する交通要衝の地として栄えましたが、現在は宿場の面影は少ないです。飯山道道標「是は善光寺ミち」と刻まれた石柱文字と観音堂階段下の石仏群に往時の面影が残っていました。宿場は、北国街道東脇往還の宿として指定されましたが、飯山街道の宿駅の方が早く、そのことは番所、本陣、脇本陣ともに飯山街道沿いの横町にあったことから読み取ることができます。(JR飯山線の始発駅は豊野駅。神代は今昔ともに交通の要衝地)神代宿を出ると街道はリンゴ畑に覆われた山道となり長く厳しく続く神代坂が待っていました。旧道は草が繁茂し歩くのは無理のため新道を歩きましたが、白坂峠を越え、桃で有名な丹霞郷を進むと北国街道と合流し牟礼宿へと続きます。途中に三本松がありますが、ここは行人塚で修行者や行き倒れの旅人を葬った跡とも言われています。草むらの中に「父ありて明ぼの見たし青田原」の一茶句碑がありました。一茶が15歳で江戸へ奉公に行くとき、父が柏原宿から牟礼まで送って来て別れた場所とされていますが定かではありません。