2019年05月06日 15:40
長野電鉄須坂駅の駐車場に車を停め屋代行きバスに乗車し川田駅で下車しました。
川田宿の西端に下組秋葉社が安置されています。この秋葉社は高さ2.5m位の自然石の上に据えられており火防の神として宿場を守っています。同じような高さの祠が隣接地の川田領家にもありました。高い所に据えられているので違和感を覚えましたが、実は川田宿は宿場が定められてから五度にわたり千曲川の水害に遭い宿場の位置が変遷したとのことです。秋葉社も水害から守るため高い位置に祀られるようになったと推察しました。福島宿は東脇往還と大笹街道が交差し、 千曲川通船「布野の渡し」もあり交通の要衝として栄えました。本陣兼問屋の竹内家、丸山家の入口の長屋門と両脇の荷蔵は見事で荷物の取り扱いが多かったことを物語っています。布野の渡し(柳原)は北国街道の矢代、丹波島が川留めになっても流れが緩やかだったため川留めにならず別名「雨降り街道の渡し」と言われていたとのことです。このため特に雨の日の福島宿は旅人たちで賑わっていたとのことです。福島宿北端に三面六臂馬頭観音がありますが、大変珍しい像容で県内街道歩き千キロ踏破した中では3カ所目の発見でした。須坂市のお宝石造物と言って良いと思います。