2018年10月09日 06:01
佐久市内3宿場の臼田、野沢、岩村田は、佐久地方の政治、経済、文化の中心地で、中山道、佐久甲州街道、下仁田道、善光寺道など主要街道の分岐点で米の集散地として物資輸送の要衝地でした。建造物からも豪族、豪農、豪商の面影が随所で見られました。宿場で特に印象に残ったのは、臼田宿では江戸初期に名主を勤め、後に、代官巡視の際の宿泊所になった県宝・井出家、野沢宿では宿場の中心にあった「女男木」の欅と樹下の道標「北木曽路・東岩村田道・南甲州道」の存在感でした。岩村田宿では住吉道標「従是善光寺」の南から始まる佐久甲州街道との分岐石碑で、往時の面影を十分感じました。
(臼田宿)
野沢宿と高野町宿の間の宿。中心集落の臼田は千曲川西岸にあり、佐久甲州街道沿いに市街地を形成、南佐久の政治、経済の中心地として発達した。
(野沢宿)
中世の伴野荘の地で、江戸時代佐久甲州街道の宿場町、佐久盆地南部の米の集散地で豪農、豪商が住んでいた。
(岩村田宿)
中世の大井荘の地で、江戸時代岩村田藩の陣屋町であった。中山道、佐久甲州街道、善光寺道、下仁田道の分岐点で米穀の集積地として物資輸送の要衝地。交通、政治、文化、産業の盛んな宿場町。