2017年06月02日 10:38
権兵衛街道は、伊那と木曽を結ぶ権兵衛峠を結ぶ街道で、木曽日義村神谷の牛方・古畑権兵衛が、木曽11宿に呼びかけ、伊那側15か村の協力を得て牛が通れる道を完成させました。以後、伊那からは大量の米が、木曽からは漆器などが牛によって運ばれました。
出発地の萱ヶ平は奈良井川に沿って南に入る谷(川入)の一番奥の集落で現在も2軒が居住しています。かつては番所が置かれ賑わっていましたが、現在は数件の家屋が確認できる程度の寂しい集落でした。街道の木曽側は道もしっかりしており歩くのに問題はありませんが、伊那側は傾斜もきつく一人が通れる登山道といった状況です。明治44年(1911年)に国鉄中央線の全通により、往時の賑わいは失ったものの、昭和30年頃までは行き交う人がいたとのこと。峠は権兵衛の碑や歌碑があり、木曽駒ケ岳の登山口になっています。
峠から少し入った所に伊那用水路跡(木曽山用水)がありました。いつの世も水は人間が生きるための生命線であり、かんがい用水に苦しむ伊那西部上部集落のために木曽谷から引水した歴史跡が残っていました。実現には水利権の問題があり相当苦労したとのこと。先人の知恵と苦労と努力に驚きました。