2016年07月15日 14:04
追分宿は中山道と北国街道の分岐点に位置し、参勤交代の大名や善光寺参詣の旅人などで賑わっていました。現在は街道の雰囲気はありますが江戸時代の建造物は少なかったです。追分の分去れは、常夜灯、道標などの石造物が残っていて往時を偲ぶことができました。沓掛宿は地名が中軽井沢と代り、宿場を感じるものはありませんでした。両宿場は江戸時代に軽井沢宿を加え「浅間根腰の三宿」と呼ばれていましたが、現在と同様に隆盛していました。
馬頭観音の供養塔を道中で多く見かけましたが、これは軽井沢が標高1,000mの高冷地で寒冷地であったこと、さらに碓氷峠を控え物資運搬が困難を極めたためと思います。