2016年07月05日 17:31
東御市の田中宿は、戌の満水の土石流が宿場を襲い壊滅的な被害を受けました。現在は田中宿本陣門、戌の満水供養塔、勝軍地蔵(善光寺地蔵と刻まれる)などに面影が残る程度です。偶然にも脇本陣をつとめたお店でお茶と昔話のご接待をいただきました。
隣接の海野宿は、田中宿に代わって本陣を勤めるようになりましたが、東信濃随一の豪族・海野氏の城下町で交通・商業の中心地でした。町並みは妻籠宿、奈良井宿につぐ当県3番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定され「日本の道百選」に選ばれております。江戸時代の出梁造りの建物、明治以降の蚕室造りの建物が調和し、歴史の香りが残る県下随一の宿場建造物で美しさは際立っています。特徴は海野格子と卯建(うだつ)と出梁(だしはり)で卯建は防火壁の役割を果たし富裕の家の象徴で、逆説の「うだつがあがらぬ」という言葉が生まれました。